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 最近、4輪レース界にアライのヘルメットが目立ってきた。それもここ半年もたたないうちのことで、F2選手権、グランドチャンピオンシリーズのコンテンダーのうちアライに変えたものは星野一義、高橋国光、高原敬武、北野元、片山義美、藤田直広、従野孝司、中島悟、柳田春人、高橋健二、見崎清志、瀬川雅雄、鮒子田寛、漆原徳光、都平健二、寺田陽次朗、その他と多い。この流れは一体なんだろう。アライの進出の意味は? その技術は? アライヘルメットの歴史を簡単にみてみると、戦後日本で初めて産業用ヘルメットの開発に取り組み、1950年にこれの実用化に成功、その後ガラス繊維入り強化プラスチックと発泡スチロール製の衝撃吸収体とを組み合わせた画期的な考案で、現在最も普及している乗車用ヘルメットの基礎を作り現在に至っている。2輪用のヘルメットを主体にその他公営レースの競輪、ボート、オートレース、競馬用のヘルメットを一手にひき受けるその業界の大手である。

 

 4輪レース用のヘルメットに初めてアライが注意を向けた動機は、1976年の日本F1グランプリであった。それまでは4輪レース用ヘルメットは採算ベースに乗らないだろうとの観点から関心を持っていなかった。しかし、76年のF1ではフルフェースでも奇異なシルエットデザインのヘルメットが全盛で、しょせんオーソドックスなヘルメットはあたかも時代遅れであるような印象を与える様相を呈していた。
 アライでは早速、十数種類の変形ヘルメットをサンプルとして入手し、それをあらゆる角度から検討を加えた。はたしてヘルメットの形状とはいかにあるべきかを徹底的に究明したわけだ。変形ヘルメットはほとんどがヨーロッパ製で、なかでもイタリア製のものが多かったが、サンプルをテストしての結果は安全性の面でそのほとんどが見掛け倒しであり“デザイン”を優先させるがために、ヘルメットの本来の機能を犠牲にしているという結論になった。

 
 

 これにはアライも大いに危機意識を持った。このような製品の多いこと、しかもそのようなヘルメットをレースの最高峰であるF1のドライバーが着用している。それは今後すべてのドライバーに普及する危険を意味する。もしそうなったらドライバーの安全はどうなるのか! これが、アライを4輪の世界に引きいれた最大の要因であった。たとえ採算ベースではペイしなくても、ここでアライが力を入れなかったら今後ドライバーのかぶるヘルメットはどうなってしまうかとの心配と、4輪への参画はアライ全体のイメージアップにつながり、長い目で見れば採算が合うであろうとの観点に立った。このようにして本格的な4輪用ヘルメット開発に着手したわけである。
 ヘルメットの開発に当たっては星野一義選手をアドバイザーとして得た。続いて高橋国光選手にも開発に参与してもらうことになり、アライはその歴史の上につちかわれた技術を駆使して4輪レース用ヘルメットの試作に取りかかった。

 

 それを作るについて目標としたのは、次の2点であった。
(1)安全であること
(2)勝つための妨げにならないこと
 この2点のうち、(1)に関しては問題なく解決できた。それはヘルメット作りの歴史を通じて蓄積されたノウハウから、関連するデータを選び出して組み合わせるだけで事たりたからである。要求される耐衝撃強度にはどの材質による何mmの厚さの帽体と、何mmの厚さでどの程度の比重のライナーを組み合わせたら良いか。このような設計はあらゆる組み合わせによるテストを行なっての、トライアルアンドエラーによる厖大なデータを必要とするが、データはすでにファイルにあったからである。

 
 

 帽体の形状はなめらかな曲面の連続の自然な形状とされた。これは空気抵抗の点からいってもなめらかな面を持ったそれのほうが有利であるが、それ以上に重要な事柄があった。それは衝撃物が当たった時でも、なめらかな形状のほうが滑って衝撃荷重は分散かつ吸収され、それだけ頭や頸にかかる衝撃エネルギーは軽減されるということである。突出された部分のある形状であれば、それがすべり止めとなり、着用者の頭部や頸の部分等に集中応力がかかり、防護効果は減殺されるからだ。ヘタをすれば首の骨を折りかねない。

 

 耐燃性に関しては、内装材料にアロマチックポリアミド系繊維が使用されたことにより解決。またヘルメットスカートも装着できるように、マジックテープも取り付けられた。
 最も苦心したのは、(2)の“勝つために妨げにならない”という点であった。良いヘルメットをかぶったからといって、勝てるわけではないが、ヘルメットが良くなければ勝てるレースを落とす可能性はあり得るわけで、現役のトップドライバーのアドバイスが貢献したのは、この点である。2輪のライディングポジションと4輪のドライビングポジションが異なることから、太陽のまぶしさを除くためのウインドラインはどの程度せばめたら良いか、内装の当たり具合は、あご紐の締金具とその取り付け方等々。

 
 

 シールドのくもり止め対策ひとつにしても、オープンシーターといっても1台ずつ空気の流れに対する設計が異なり、ヘルメットに当たる風もおのおの違っている。小石の当たり方もすごいもので、シールドはすぐ傷がつく。だから複雑な機構を組み込んだ高価なシールドでも1レースだけになってしまう。したがって簡単な構造で自在の位置にセットできるもので、くもる時には少しすき間をあけてやればセダンの三角窓をあけるのと同じ効果の出る、しかも上げ下げの操作は無意識のうちに出来るものでなければならない。
 かぶり心地については、これが悪かったら勝つための妨げになることは間違いない。特に4輪レースの場合は横Gが掛かるところからなおさらである。

 

 JAFでは今年度から準国際レース以上のイベントはBS・2495:1977か、スネル・1970という規格以上のヘルメットの着用を義務付けた。安全性が高くなれば重量が増すことは避けられない。ましてスネル規格(参照)となれば、新しいヘルメットの素材のものだと言っても、ある程度の重さがなければウソだ。その重さのヘルメットをかぶってその重さを感じさせないようにするには、頭全面でささえるようにフィットさせること、また4輪の場合はマスクをかぶるので、そのマスクの縫い合わせの部分も検討が加えられた。その他多くの実戦により得られたきめ細かいアドバイスが参考になり、本格的な4輪用ヘルメットが試作された。

 
 

 1977年の富士スピードウェイにおけるF1日本グランプリに3名の日本人選手がエントリーしたが、その3名が着用した国産ヘルメットは、このようにしてアライが開発した4輪用ヘルメットのプロトタイプだったのである。
 上記のような過程をたどって3種類の4輪レース用ヘルメットが完成し現在販売されている。このシールドについては選手の要求を組込んだスワイブルタイプのものが標準装備され、ドライバーから満足を得ている。星野一義は言っている。「どんなヘルメットだって気をつけて扱えば使えるもんだ。だけど実戦ではヘルメットに気を使うことは出来ないんだ。ヘルメットに使える余裕があったらその分だけ速く走る。もしヘルメットに気を使わなければならないようならその分だけ遅くなってしまうんだ」と。

 

【スネル規格】
スネル規格の歴史は、今から22年ほどさかのぼった1956年の夏のこと、アメリカカリフォルニアのスポーツカー愛好家ピート・スネルがレース中の事故で頭部を打ち、命を落としたことがその発端である。彼は当時「F1レーサー」も使用していたヘルメットを着用していたが、今日の常識からすればひどいヘルメットだった。といっても当時はまともなヘルメット規格もなく、安全なヘルメットを見分ける方法が確立されていなかった。この現実に直面し、ピート・スネルの友人だった医師、学識経験者などが、友人の死を無駄にしてはならないと立ちあがり、安全についてのヘルメットの研究が始まった。こうして1957年にスネル記念財団が設立され、1959年に初めてスネル規格が誕生した。
 スネル規格は、常にヘルメットの技術水準を先取りした形で設定される。したがって規格は1962年、68年、70年と順次改定され、現在はスネル1975年規格が施行されている。規格は構造と試験方法とからなるが、中でも最もシビアなものは、衝撃吸収テストでいかなる場合にも加速度は300G以内という極めてきびしい数値を採用していることだ。
 テスト方法としては加速度計を組み込んだ標準人頭模型にヘルメットを装着し、これを鋼製アンビルの上に落下し、人頭型に伝達された加速度を測定する。また衝撃についてはヘルメットの保護範囲内のどこを打っても安全である事が要求され、任意に4コ以上の箇所を選んでテストする。しかも同じ箇所に連続して2回の衝撃を与え2回目の衝撃にも安全であることが確認される。テストの際の衝撃エネルギーの大きさは、ちなみにJIS第2種レース用規格の約2倍といえば、そのきびしさは想像できるであろう。

 
auto technic 1978年7月号
発行 : 山海堂
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